20代から女優、司会者としてテレビの第一線で活躍してきた黒柳徹子さん。
インスタでNHK時代やニューヨーク留学時代の写真を公開し、若い頃が「美人すぎる」「別人みたい」と話題になっています。
今回は黒柳徹子さんの若い頃から現在を時系列でみていきましょう!
- 【写真】黒柳徹子の若い頃が美人!20代から50代を比較
- 【時系列】黒柳徹子の若い頃から現在を年代別に振り替える
【写真】黒柳徹子の若い頃が美人!20代から50代を比較
黒柳さんの20代~50代の顔画像の比較です。
若い頃はまだトレードマークの玉ねぎヘアではなく、上品でレトロなスタイル。
ファンからは「オードリー・ヘップバーンみたい」との声が上がっています。
【時系列】黒柳徹子の若い頃を年代別に振り替える
小学校~中学時代
幼少期の黒柳さんは自由奔放な行動から、小学校で「問題児」とされていたそうです。
- 学校のフタのついた机が珍しく、授業中何度も開け閉めを繰り返す
- 外を通ったチンドン屋さんを教室の窓から呼び込み、校庭で1曲演奏してもらう
- 巣作りしているツバメに「何してるのー?」と大きな声で聞く
などの行為を繰り返した結果、小学校を3か月で退学になったそう。
その後自由な校風のトモエ学園に転校し、のびのびと楽しい学校生活を送っています。
その後、1945年の東京大空襲をきっかけに青森県に疎開しています。
東洋音楽学校声楽科に入学
終戦後は東京に戻り、翌年1946年に香蘭女学校に入学しています。
1951年、東洋音楽専門学校に入学し、当時はオペラ歌手を目指して声楽科に所属します。
その後、オペラの歌詞が覚えられないという理由でその道を諦め、
「将来子どもが生まれた時、上手に絵本を読めるお母さんになろう」
と思い、路線を変更したそうです。
NHKの専属女優に(20歳)
1953年1月、新聞でNHKの専属俳優募集の広告を目にしたのがきっかけで、NHK放送劇団のオーディションに応募。
応募者5000人以上のオーディションを勝ち抜き、NHKに正式に採用されたのは10数人のみだったとか。
翌年1954年からNHK専属女優としてデビューしています。
2017年1月25日、自身のインスタでデビュー当時の写真をアップしています。
写真右のパンダのぬいぐるみは、子供の頃に叔父さんからアメリカ土産としてプレゼントされたもの。
のちに黒柳さんがパンダ研究をするきっかけになったものだそうです。
その後NHKで売れっ子女優となり、
- ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」(1954年~)の主演
- 「第9回NHK紅白歌合戦」司会(1958年)
- 子ども向け番組「ブーフーウー」(1960年~)
- ドラマ「若い季節」(1961年4月~)
- バラエティ番組「夢で逢いましょう」の進行(1965年4月~)
など多数のレギュラー番組に出演。
20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週に10本、平均睡眠時間3時間という日が続き、過労で1か月入院することもあったとか。
また、24歳から33歳くらいまでの間に結婚の話もあったそうです。
1968年には篠山紀信さんの依頼でグラビア撮影もしています。
1年間のニューヨーク留学(38歳)
1971年には、一旦仕事をお休みしてニューヨーク留学をしています。
当時、テレビに引っ張りだこだった中、大きな決断をした黒柳さん。
その理由を、
このまんまずっと櫓の中にいるうちに、自分が何だかわかんないうちに、この波に押し流されちゃうって感じがしたの。
1回とにかく止まってみる必要があるんじゃないかなって思ったの。
と語っています。
NYでは仕事はせずに、ブロードウェイにある演劇学校「メアリーターサイ演劇学校」で演技を学んだそうです。
2017年8月4日のインスタで、イースターパレードの日に振袖を着てNY5番街に立つ写真も公開されています。
お母様にプレゼントされた結婚式用の振袖で、当時NYのパーティーに呼ばれた際は必ず着て出かけていたのだとか。
振袖を着ていくことでアンディ・ウォーホルやチャップリンという有名人と知り合うこともできたそう。
また、「着物と洋服、どちらにも似合う髪型を開発したい」との思いから、タマネギヘアを考案したのもこの頃だったそうです。
徹子の部屋放送開始(43歳)
帰国して1年後、1976年にはテレビ朝日で冠番組「徹子の部屋」が放送開始。
1978年には歌番組「ザ・ベストテン」がスタートし、久米宏さんと司会を務めています。
1981年3月には、トモエ学園時代を書いた自伝的本「窓ぎわのトットちゃん」を出版。
世界35ヶ国で翻訳される国民的ベストセラーとなっています。
ユニセフ親善大使に任命(52歳)
1984年、アジアの人物として初めてユニセフ親善大使に就任。
「障がいを持つ人々や環境への広範囲な活動と実績」が任命理由でした。
現在まで40カ国近く海外を訪問し、戦争や紛争で家族を亡くしたり、飢饉や病気で苦しむ子どもたちへの支援を続けています。
海外コメディシリーズの舞台主演(60代)
90年代は舞台に力を入れており、海外で話題になった戯曲などの主演を務めています。
アメリカの大女優メイ・ウェストを演じた際には、特殊メイクで胸囲100cmのグラマラスなバストを再現していました。
勲三等瑞宝章を受章(70歳)
2003年春にはユニセフ親善大使としての活動を高く評価され、勲三等瑞宝章を受章しています。
2008年10月の「徹子の部屋」では、ゲストの青山テルマさんが「黒柳さんが玉ねぎヘアの中から飴を取り出していた」と発言し話題に。
頭を小物入れとして使っていたとしてネットニュースになっていました。
徹子の部屋が放送回数でギネス認定(82歳)
2015年5月27日には、「徹子の部屋」が放送1万回を達成。
”同一司会者によるトーク番組の最多放送”でギネス認定されています。
2016年9月の「徹子の部屋」にゲスト出演した福山雅治さんに勧められ、インスタデビューも果たしています。
2018年7月4日放送の「1周回って知らない話2時間SP」に出演した際は、MRIで脳を分析され
- 言葉を聞いてから話すまでの情報処理速度が一般の10倍速い
- 脳が今もどんどん成長している
という驚異的な結果を出されていました。
2021年には87歳でYouTuberデビューも。
現在登録者22万人の人気チャンネルとなっています。
現在(90歳)
2023年10月、「窓ぎわのトットちゃん」の続編「続 窓ぎわのトットちゃん」が刊行。
今も寝る前には本を読んで、自分の知らない世界や感じたことのない感覚を学んでいる、と語る黒柳さん。
これまでユニセフ親善大使の立場上政治的発言を控えてきたものの、「100歳になったら政治記者になりたい」という夢があるとのこと。
100歳のおばあさんがマイク片手に「総理!総理!」って迫ったら、誰も蹴飛ばせないし、総理も無碍にはできない
(引用:ANANニュース_2020年3月7日)
という理由だそうで、90歳からは政治の勉強をすると語っています。
まだまだお元気で活躍されてほしいですね。