黒柳徹子さんの歴代彼氏(元彼)として、渥美清さん、結婚説のあったジャニー喜多川さん、40年遠距離恋愛を続けたフランス人ピアニストのアレクシス・ワイセンベルクさんらの名が挙がっています。
YouTubeで共演する刺繍デザイナーの田川啓二さんとは同じマンションに住む関係とも。
また、過去には隠し子の報道があったことも。
今回は黒柳徹子さんの結婚相手や子供、歴代彼氏についてみていきましょう!
- 黒柳徹子の現在の彼氏は田川啓二?
- 黒柳徹子の歴代彼氏9人について
黒柳徹子の現在の彼氏は田川啓二?
オートクチュール刺繍デザイナーで「ビーズ王子」として人気の田川さん。
2002年に「徹子の部屋」にゲスト出演したのがきっかけで、親交を深めたそうです。
黒柳さんの衣装をオーダーメイド製作したり、現在YouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」でも共演しています。
2016年4月に黒柳さんの事務所の代表、2018年には黒柳徹子記念財団の代表理事に就任。
仕事現場への同行、出演交渉、キャスティングにも関わるなど、常に黒柳さんのそばに付き添っていたため、「恋人関係なのでは?」との噂も出ていました。
黒柳さんが88歳で引っ越しをしたのと同時に、田川さんとその弟分の男性も同じマンションの同じフロアで生活を始めたそうです。
年が明けた3月、若いファミリー層から人気の高い、都心からやや離れた新興住宅街の高級タワーマンションの39階に黒柳が部屋を購入したことを、「女性セブン」が報じた。同じフロアには、事実上の後見人であるビーズ刺繍家・田川啓二氏(63)の弟分も居住しているという。
2022年5月11日の「FLASH」では「事実上の後見人」とも報じられています。
黒柳徹子の歴代彼氏は9人で隠し子も?
<黒柳徹子の歴代彼氏一覧>
- 結婚を決めかけたお見合い相手(1950年代)
- 飯沢匡(1956年頃)
- 渥美清(1960年代)
- アラン・ドロン(1964年)
- 赤塚不二夫(1973年)
- アレクシス・ワイセンベルク(1972年~2012年)
- ジャニー喜多川(1980年代)
- 永六輔(2010年代)
- 田川啓二(2016年~)
黒柳徹子の歴代彼氏1人目:結婚を決めかけたお見合い相手
黒柳さんは今まで3回お見合いをしたことがあるそうです。
そのうち三人目のお相手は脳外科医の先生で、何度かデートをして結婚を決めかけていたのだとか。
そして結納も済ませてから、当時ラジオドラマの作曲を担当していた離婚歴のある先生に、
「結婚しようかと思うんです」
と相談したところ、
「1つでも気に入らないところがあったら、やめた方がいいよ。1つぐらいはいいかと思うと、それが気になるから」
とアドバイスされたそう。
それから改めてお相手を見た黒柳さんは、「歩き方が気になる」と思いはじめ、結婚を取りやめてしまったのだとか。
結局結納品は相手にお返しし、嫁入りのためにコートを作ってくれた黒柳さんのお母様は、自由な娘を「結婚詐欺」呼ばわりしていたそうです。
黒柳徹子の歴代彼氏2人目:飯沢匡
1954年4月から放送されたラジオ「ヤン坊ニン坊トン坊」の脚本を手掛けた演出家、劇作家の飯沢匡さん。
同番組のオーディションに黒柳さんが参加したのが二人の出会いでした。
当時よく仕事場で「個性が強すぎる」と怒られていた黒柳さんに、飯沢さんは
「直しちゃいけません。あなたの喋り方がいいんですから。どこもヘンじゃ、ありません。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。」
と言ってくれたそう。
以来恩師のような存在となり、多くの作品で共演していました。
交際が噂されたのはスキャンダル雑誌「噂の眞相」1998年2月号の記事がきっかけ。
- 「黒柳さんには実は隠し子がいるのではないか?」
- 「24歳離れた黒柳さんの末弟がその隠し子では?」
という疑惑について掲載されており、この隠し子の父親が飯沢さんではないかと書かれていました。
気になるのはここで徹子の相手だと囁かれた男性についてだ。当記事によると、その人物は劇作家の飯沢匡氏。飯沢氏は94年に85歳で亡くなっているが、記事では“出会いから死去するまでの約40年間、ふたりの関係はつづいた”としている。そして、ふたりが出会って関係を深めた時期と末弟の誕生が符号する──というのだ。
(引用:LITERA_2015年6月1日)
飯沢さんは黒柳さんと出会った当初から既婚者だったようです。
黒柳徹子の歴代彼氏3人目:渥美清
二人は1961年から放送されたバラエティ「夢であいましょう」で共演。
それ以来互いを「お兄ちゃん」「お嬢さん」と呼んで、とても親しくしていたそうです。
私生活を明かさなかった渥美さんにとって、黒柳さんはプライベートでも仲のいい数少ない共演者だったようです。
共演中の1960年代に熱愛報道が出たこともあったそうですが、渥美さんは1969年には一般人女性と結婚されています。
黒柳徹子の歴代彼氏4人目:アラン・ドロン
2016年7月17日放送の「黒柳徹子だけが知っているTHEテレビ伝説60年史」にて、黒柳さんは過去に「アラン・ドロンから告白されていた」と明かしています。
1964年にバラエティ「夢であいましょう」にアランさんがゲスト出演した時のこと。
アランさんは「テツコ、なんて美しいんだ」と手にキスし、口説き始めたのだとか。
番組で二人は「黒柳さんに愛をささやく」という設定のコントを演じましたが、アランさんは黒柳さんの手を握って離さず、収録そっちのけで積極的になる一方だったそうです。
収録後は赤坂のナイトクラブに行き、ダンスを楽しんだことを明かしています。
その際週刊誌に写真を撮られたそうですが、カメラマンが黒柳さんを浅丘ルリ子さんと見間違ったために、アランさんと浅丘さんの密会の記事が掲載されたとか。
アランさんは別れ際に、
「君を知らないでずっときたのは不幸だった。今度あった時にね」
と書かれた自身の写真入りサインを手渡してきたそうです。
黒柳さんによると、そのサインは引っ越しした際に「どっか行っちゃった」とのこと。
アランさんは1987年にオランダ人モデルの女性と事実婚しています。
黒柳徹子の歴代彼氏5人目:赤塚不二夫
二人の出会いは1966年に放送された子ども向けクイズ番組「まんが海賊クイズ」での共演。
それ以来、共演者たちとバーベキューや闇なべをする仲のいい関係になったそうです。
黒柳さんは『文藝春秋』2011年3月号で、赤塚さんが友情以上の思いを寄せていたのではと思い返すエピソードについて明かしています。
大阪の劇場でミュージカル「メイム」の公演中、楽屋に赤塚さんが何の前触れもなく訪ねてきたことがあったそう。
あるとき、黒柳が大阪の劇場で公演中、赤塚が何の前触れもなしに「来ちゃった……」と楽屋に訪ねてきたことがあった。その第一声に黒柳はちょっと重いものを感じてしまう。
(引用:文春オンライン_2023年8月9日)
結局、黒柳さんが赤塚さんに何をしに来たのか尋ねなかったため、その件はうやむやのまま終わってしまったそう。
数年後、二人の熱愛の噂について週刊誌の記者から黒柳さんの事務所に問い合わせが来たそうですが、「何もなかった」と答えています。
赤塚さんは1961年にアシスタントの稲生登茂子さんと、1987年にスタイリストの鈴木眞知子と結婚されています。
黒柳徹子の歴代彼氏6人目:アレクシス・ワイセンベルク
黒柳さんは2023年11月10日放送の「金スマスペシャル」に出演した際、40年間に及ぶ大恋愛をしたフランス人ピアニストの恋人がいたと話しています。
お相手の名前は出されていませんが、
- 世界的に有名なピアニスト
- パーキンソン病を患い、スイスで亡くなっている
などの情報から、ワイセンベルクさんではと言われています。
馴れ初めは来日公演
二人の出会いは1972年、「来日公演の時に仕事で出会った」のが馴れ初めだったそう。
黒柳さんが38歳、ワイセンベルクさんが42歳の時でした。
黒柳さんはお相手の印象を、
- まず音楽に惹かれた
- 才能のある人
- 優しい
- 見場(外見)がちょっといい
- 話が合った
と話しています。
40年遠距離恋愛を続ける
ワイセンベルクさんの帰国後、二人はFAXで連絡を取り合い遠距離恋愛を続けていたそうです。
黒柳さんは忙しい仕事の合間をぬって年に1、2度は海外に会いに行っていたとか。
ワイセンベルクさんは絶対に公演をキャンセルをしなかったため、会いに行く時にはその公演先に行けば確実に会えたそう。
何も伝えずに行って、ワイセンベルクさんがレコードなどにサインする列に並んで驚かせたこともあったそうです。
1982年、ワイセンベルクさんの9回目の来日の際には「徹子の部屋」や、黒柳さん司会の「音楽の広場」にも出演。
六本木で手を繋いでご飯を食べに行ったこともあったとか。
当時週刊誌「フォーカス」にツーショットを撮られるなど、交際が噂になっていたようです。
結婚しなかった理由
交際中、ワイセンベルクさんから
「一緒にパリに来てくれないか」
と言われたそうですが、遠距離恋愛する道を選んだ黒柳さん。
その理由を、
国際結婚となるとなかなかね。私が仕事を辞めるか向こうが辞めるかすればできるけど、そうしないとできないでしょ。
と話しています。
ワイセンベルクさんはパーキンソン病のために2012年にスイスのルガーノで亡くなり、二人の恋愛は終焉を迎えたそうです。
黒柳徹子の歴代彼氏7人目:ジャニー喜多川
黒柳さんは2016年7月21日放送の「THEテレビ伝記60年史」の中で、過去にジャニーさんとの結婚報道が出たことを明かしています。
少年隊が全盛期だった80年代の頃、二人が結婚するという噂がファックスで芸能界に出回ったそう。
当時誰も信用する人はいなかったものの、朝日新聞だけが『そうなんですか?』と事務所に問い合わせしてきたのだとか。
噂はガセだったそうですが、それ以降、黒柳さんはジャニーさんを冗談で「旦那さん」と呼んでいたそうです。
黒柳徹子の歴代彼氏8人目:永六輔
1961年から放送されたNHKのバラエティー「夢であいましょう」で共演し、それ以降60年以上の親交がある二人。
永さんが亡くなった後の2016年7月12日、黒柳さんがコメントを発表。
その中で、永さんの奥さん亡き後結婚の話があったことが明かされています。
「奥さんの昌子さんが亡くなって十四年半、よく一人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと、わかっていました。」
(引用:スポニチアネックス_2016年7月12日)
奥さんの代わりにはなれないという理由で、実現しなかったようです。
黒柳徹子の歴代彼氏9人目:田川啓二
冒頭の通り、2002年に「徹子の部屋」で共演したのがきっかけで親交を深め、2016年4月には黒柳さんの事務所の代表に就任しています。
2020年からは黒柳さんと同じマンションで実質同居のような生活をしており、事実上の後見人ではないかとも報じられています。