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画像】美輪明宏と三島由紀夫の関係&エピソード5選!恋人は俳優の赤木圭一郎

俳優の美輪明宏さん(88歳)は、戦後を代表する作家・三島由紀夫さんの恋人だったのではないかと言われています

また美輪さんは、第2の石原裕次郎さんとして売り出されている最中に亡くなった俳優・赤木圭一郎さんと恋人関係にあったそう。

今回は、美輪明宏さんと三島由紀夫さんの関係やエピソード、赤木圭一郎さんについてみていきます。

この記事の内容
  • 美輪明宏と三島由紀夫の関係は?
  • 美輪明宏と三島由紀夫のエピソード5つ!
  • 美輪明宏の恋人は赤木圭一郎

美輪明宏と三島由紀夫の関係は?

美輪さんは、日本を代表する小説家・三島由紀夫さんの愛人だったのではとの噂が。

三島由紀夫
  • 名前:三島由紀夫
  • 本名:平岡公威(きみたけ)
  • 生年月日:1925年1月14日
  • 没年月日:1970年11月25(当時45歳)
  • 職業:小説家、劇作家、評論家、政治活動家
  • 代表作:仮面の告白(1949年)、金閣寺(1958年)、豊饒の海(1965年~1970年)

美輪明宏と三島由紀夫の出会いはゲイバー

美輪明宏さんは10歳の時に原爆を経験し、終戦後は長崎県の海生学園に進学。

しかし戦後に見た映画の中で、歌手の加賀美一郎さんのボーイソプラノに衝撃を受け、1951年15歳の時に上京。

現在の国立音楽大学附属高校に編入し、歌手を目指すように。

しかし父親との大喧嘩から絶縁を言い渡され、仕送りを止められたことから高校を中退。

当時16歳だった美輪さんは、銀座5丁目にあった『ブランスウィック』で「丸山臣吾」という名前でアルバイトを始め

  • 野坂昭如
  • 安部譲二
  • 三島由紀夫
  • 江戸川乱歩
  • 川端康成
  • 寺岡修司
  • 遠藤周作

といった名だたる著名人たちと出会います。

ブランスウィック

この店は三島由紀夫の小説『禁色』に登場するゲイバー「ルドン」のモデルとなった店。

1階が喫茶店、2階がクラブになっており、フロアショーが行われていました。

入店早々オーナーから、フロアで歌ってもいいと言われた美輪さんは、裸体に瓢の毛皮を巻き付け手足に鈴をつけた姿で歌を披露していたそう。

ある日、新入りの美輪さんを見ていた三島さんは、美輪さんを席に呼びます。

しかし美輪さんは、取り巻きに囃し立てられている三島さんに反感を持ち、初めは応じなかったそう。

当時美輪さんは16歳、三島さんは10歳年上の26歳でした。

オーナーにお願いされ渋々三島さんのもとへ向かい、次のような会話をします。

(三島)「なにか飲むか?」

(美輪)「芸者じゃありませんから、結構です」

(三島)「可愛くない子だな」

(美輪)「ぼくは綺麗だから、可愛くなくてもいいんです。」

「もうよろしいですか? あんまり見られて穴があく前に帰ります」

当時から天才作家と謳われていた三島さんは、美輪さんが生意気な態度をとったことに興味を示したんだとか。

三島さんはブランスウィックの上客だったため、美輪さんの客をあしらうような態度を見たオーナーは美輪さんを解雇。

その後美輪さんは、友人に誘われたシャンソン会で、元タカラジェンヌで日本シャンソン界の草分け的存在である橘薫さんの前座を務めることに。

その時の美輪さんの素晴らしい歌声を聴いた橘さんは、

「銀座7丁目の『銀巴里』に行って、バンドマスターの原孝太郎さんにこの紹介状を渡しなさい」

と、美輪さんに『銀巴里』を紹介します。

シャンソン喫茶『銀巴里』で専属契約

銀巴里は日本初のシャンソン喫茶で、美輪さんをはじめ青江三奈さんや戸川晶子さんら著名人を輩出した伝説の場所。

銀巴里

美輪さんは銀巴里に毎日訪れ、原孝太郎さんから歌の指導を受け、歌手として専属契約。

国籍・年齢・性別不詳として17歳でステージデビューすることに。

銀巴里で歌う美輪明宏

銀巴里にも三島さんを含む著名人が多く来店しており、NHK局員が美輪さんに目を付けテレビ出演も果たします。

さらに1957年22歳の時に、本名である丸山明宏として『メケ・メケ』でレコードレビュー。

麗しい美貌と美声、ユニセックスなファッション、三島さんが”天上界の美”と褒めたたえたことから一躍人気となります。

美輪明宏さんの『メケ・メケ』

こうして美輪さんと三島さんは10歳差ながら、10年以上にわたって交友関係を持つことに。

当時から恋人関係を噂されていた2人ですが、美輪さんはこれを完全否定。

三島さんは1958年に日本画家・杉山寧さんの娘と見合い結婚をし、2人の子供を儲けています。

美輪明宏と三島由紀夫のエピソード5つ!

美輪さんはこれまで折に触れ、三島さんとのエピソードを述懐。

三島さんが美輪さんに熱烈な好意を寄せていたことが窺えます。

エピソード①:三島由紀夫が美輪明宏のキスをねだる

三島さんと同様に江戸川乱歩さんからもひいきにされていた美輪さん。

美輪さんと二人の出会いから17年後の1968年当時32歳の時に、原作・江戸川乱歩、戯曲・三島由紀夫、主演・美輪明宏さんの演劇『黒蜥蜴(クロトカゲ)』の上演が決定。

三島さんが美輪さんのために書き下ろしたと言われており、

「君なら、僕のレトリックだらけのセリフを操ることができる。あれは誰にもまねができない”超絶技巧のセリフ術だ」

と語っていたそう。

美輪明宏と三島由紀夫が出演する黒蜥蜴

また三島さんは美輪さんが好きすぎるあまり、劇中に無理やりキスシーンを作ったと言われています。

上演前のリハーサルでは、美輪さんがキスを寸止め。

すると三島さんから「なぜキスしてくれないの?」と何度もおねだりされたそう

美輪明宏と三島由紀夫のキスシーン

この演劇は大ヒットし、映画化されニューヨークタイムズにも取り上げられるほどの人気ぶりだったとのこと。

エピソード②:美輪明宏の5%の短所

美輪さんは三島さんから、

「95%の素晴らしい長所を吹き飛ばすほどの5%の短所は、俺に惚れないことだ」

と言われたんだとか。

しかし美輪さんは三島さんを「無二の親友」と話しており、三島さんの一方通行の恋だったよう。

私が、尊敬するような人は恋愛の対象にならないんですって言うと、三島さんは、じゃあどういうのが恋愛の対象なんだって言うんで、「かわいそうな人が好きなんです。だから三島さんは恋愛の対象になりません。お気の毒さま」と、そう言ったんですよ。

引用::NHK サイカルjournal「三島由紀夫没後50年 美輪明宏が語る“素顔“」、2020年11月16日

また美輪さんは、彼氏にしたい男性について三島さんに尋ねられた際、「気の毒で、陰のある人」と答えると三島さんは、

「君と別れたあと、ある雨の日、帰っていく俺の後ろ姿を見てみろ。震いつきたいぐらいくかわいそうだぞ」

とアピールしたんだとか。

エピソード③:三島由紀夫がジーパンを着用するように

三島さんと初めて会ったとき、ルパシカというロシアの民族衣装を着ていたという美輪さん。

三島さんは、父親が官吏で母親が漢学者の娘というエリート一家の出身で、上流志向の家庭だったため、カルチャーショックを受け美輪さんの服装を非難したんだそう。

すかさず美輪さんが、

「あなただって、本当はなさりたい服装があおりになるのでは?」

と尋ねると三島さんは、

「革ジャンが着たい…ジーンズをはきたい」

と答えたため、美輪さんが御徒町でジーンズを選んであげたんだとか。

三島さんの母からは「下品な恰好はあなたのせいでしょ?恨みます」と叱られたそうですが、三島さんは服装を気に入り、しばらく続けていたようです。

エピソード④:三島由紀夫がシャンソンを披露

1966年7月10日当時31歳の時、美輪さんが東京・大手町の日経ホールでチャリティーコンサートを開催。

美輪明宏がチャリティーコンサートを開催

そのステージで三島さんは、初めて歌手として友情出演することに。

美輪明宏のコンサートに参加する三島由紀夫

「三島さんが常々ね、『スターの気持ちを味わってみたいな』と言うんです。(中略)それで私が日経ホールでコンサートをやることになっていたので、電話したんですよ。『三島さん、ひとつ歌でお出にならない?』って」

引用:サイカルjournal、2020年11月16日

三島さんは音痴だったそうですが、すさまじい集中力で猛特訓を重ね、わすが1週間で音痴を改善。

ステージは無事に成功し、三島さんはスターの気持ちを味わえたようです。

エピソード⑤:美輪明宏に300本のバラでお別れ

美輪さんが三島さんと最後に会ったのは、1970年11月の三島さんの自殺直前のこと。

東京・有楽町にあった日劇で、ショーのため楽屋に控えていた美輪さんのもとに突然、300本はあろうと思われるバラの花束を抱えた三島さんが訪ねてきたそう

いつもとは違い正装をして現れ、普段は家族の話をしない三島さんが弟の話をしてきたとのこと。

美輪さんがステージに呼ばれたため三島さんに別れを告げると、

『もう君の楽屋には来ないからね』『また今日もきれいだったよ、なんてうそを浮き続けるのがつらいからね』

と言って立ち去り、美輪さんのショーを前方の観客席で見届けたそう。

それから一週間後の1970年11月25日に、三島さんは自衛隊の市ヶ谷駐屯地で切腹自殺をし、45歳で亡くなりました。

三島由紀夫

美輪さんは三島さんが亡くなる直前の演説を、事務所のテレビ中継で見ていたそうです。

美輪明宏の恋人は赤木圭一郎

美輪明宏と赤木圭一郎の馴れ初めは?

三島由紀夫と交際疑惑があったのと同時期に、美輪さんは赤木圭一郎さんと交際していたことを明かしています。

赤木圭一郎
  • 名前:赤木圭一郎
  • 本名:赤塚親弘
  • 生年月日:1939年5月8日
  • 没年月日:1961年2月21日(当時21歳)
  • 職業:映画俳優
  • 代表作:紅の拳銃(1961年)、霧笛が俺を読んでいる(1960年)、錆びた鎖(1960年)

赤木さんは期待の若手俳優として、当時人気急上昇中の俳優でした。

ハリウッドスターのトニー・カーティスさんに似ていたことから、トニーと呼ばれ親しまれていたとのこと。

20本以上の無国籍アクション映画に出演し、映画製作会社・日活でアクション俳優として知られていた石原裕次郎さん、小林旭さんに続く第三の男と呼ばれていたそう。

1960年ごろ、美輪さんがある日バーに行くと、赤木さんがいたことから知り合いに

当時美輪さんは25歳頃、赤木さんは4歳年下の21歳頃のこと。

その後赤木さんが文学青年だったことから、文学についての会話により仲を深めたと美輪さんが明かしています。

赤木圭一郎が撮影現場で事故死

赤木さんは1961年21歳の時に、映画『激流に生きる男』の撮影現場で休憩中に事故死してしまいます。

当然葬儀が開かれましたが、美輪さんは赤木さんとの関係が明るみになることを恐れて、出席できなかったそう

その後赤木さんとの関係について告白したのは、7年が経った1968年のこと。

その急逝から7年ほどたって、彼のことを『トニー』と呼び、『愛し愛されていた』ことを雑誌で告白しました。

引用:アサ芸プラス、2012年12月12日

美輪明宏が赤木圭一郎を追悼

赤木さんの死後、美輪さんの代表曲である『愛の賛歌』が歌えなくなるほど悲しみに暮れた美輪さん。

そんな時に励ましてくれたのが、三島由紀夫さんだったと明かしています。

美輪さんは美しいルックスと歌唱力、権力にも物怖じしない精神で、多くの男性を虜にしていたようです。

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