かつては”ほほえみ外交“の要となり、柔和な表情を浮かべる姿に”平和の使者“として期待された金与正氏。
しかし昨今は韓国政府を罵倒する挑発的な声明を発表し、南北融和の象徴である南北連絡事務所を爆破するなど過激な言動が目立ちます。
北朝鮮最高指導者である金正恩委員長の体調に不安が囁かれる中、次代の後継者に内定しているとも言われる金与正氏。
融和イメージから一転した彼女の素顔は、一体どのような人物なのでしょうか?
今回は、北朝鮮最高指導者の実妹・金与正氏の経歴と子供時代についてまとめました。
- 金与正について
- 子供時代
金与正について
金一家については北朝鮮内でも取り分け秘匿性が高い情報のようで、性格な名前や生年月日すらも明かされていない場合は多いです。
金与正氏についてもこれは同様で、その年齢や家族構成すらも謎に包まれているようです。
プロフィール
- 名前: 金与正(キム・ヨジョン)
- 生年月日: 諸説あり
- 1987年9月26日(32歳)− 金正日総書記の料理人・藤本健二氏
- 1988年1月1日(32歳)− スイス学歴記録
- 1988年9月1日(31歳)− 李潤傑北朝鮮戦略情報センター代表
- 出身地: 平壌
- 最終学歴: 金日成総合大学
- 所属政党: 朝鮮労働党中央委員会組織指導部第1副部長
- 家族構成: 父・北朝鮮第2代最高指導者 金正日総書記
- 母・高容姫
- 兄・北朝鮮第3代最高指導者 金正恩委員長
- その他 夫、実子2人
金与正氏は金正日総書記の四女で、現・北朝鮮最高指導者金正恩委員長の妹です。
2015年に結婚し2子を儲けたと見られますが、夫・実子についてはいずれも詳細は不明となっています。
乗馬や射撃が趣味で、幼少期からとても明るく従順な性格。
政治能力が高く頭脳明晰で、その資質から父・金正日総書記が
と期待されていたようです。
兄・金正恩委員長からも絶大な信頼を得ており、金正恩委員長のスケジュール管理やサポートなどはもちろん、ヘアスタイルやファッションも金与正氏が管理しているのだとか。
語学も堪能で外交の場に現れることも多く、気さくで海外の高官からも評判の高い彼女は「外交アイドル」とも呼ばれています。
しかし、2020年以降は過激な発言が目立ち、柔和な印象を一掃。
健康不安のある兄・金正恩委員長に変わって政権を握るのではないかと言われているようです。
経歴
- 2009年2月 :朝鮮労働党宣伝扇動部・行事課 在籍
- 2010年10月 :指導者の記念写真に登場
- 2011年12月 :金正日総書記の葬儀にて公の場に初めて登場
- 2014年1月 :朝鮮労働党宣伝扇動部・行事担当 副部長 就任
- 2014年4月 :朝鮮労働党宣伝扇動部・行事部 第1副部長 就任
- 2015年1月 :崔竜海氏の次男・崔成氏と結婚したと報じられる
- 2015年5月 :第一子出産と推測
- 2016年5月 :朝鮮労働党第7次大会・中央委員会委員選出、党内序列43位
- 2017年10月 :朝鮮労働党中央委員会総会・政治局員候補選出、党内序列25位前後
- 2018年2月 :韓国・平昌五輪で北朝鮮高官級代表団の一員として初訪韓
- 2018年4月頃 :第二子出産と推測
- 2018年6月 :米朝首脳会談のため金正恩委員長らに同行
- 2019年2月 :米朝首脳会談のため金正恩委員長らに同行
- 2019年12月 :朝鮮労働党中央委員会組織指導部・第1副部長 就任
- 2020年6月 :韓国の脱北者団体を批判、南北共同連絡事務所を爆破する
子供時代
金与正氏の幼少期の情報は限られていますが、非常に頭脳明晰な子どもだったようです。
父・金正日総書記からも寵愛を受けており、その能力にはかなりの期待をかけられていたのだとか。
“北のお姫様”として生まれた金与正氏は、どのような子ども時代を過ごしていたのでしょうか?
小学生時代〜
金与正氏は小学生時代、「チョン・スン(Chong Sun)」という偽名を名乗り“北朝鮮大使館員の娘”としてスイスに留学していました。
首都ベルンのLiebefeld地区にある公立校で、北朝鮮大使館からは4㎞ほど離れた庶民的な住宅街という立地のようです。
小学校の学籍記録によれば、金与正氏は1996年4月23日に編入し、2000年末頃北朝鮮へ帰国。
北朝鮮は当時「苦難の行軍」と呼ばれ、数十万人餓死者が出たと推測される食糧危機の最中でしたが、金与正氏はかなりぽっちゃりしていたそうです。
↓子供時代の金与正氏と思われる写真
留学中の金与正氏は楽器やバレエのレッスンを受けたり、アニメのイラストを描くことを趣味にしたりと所謂“普通の子ども”だったと言われています。
「母の高容姫が、在日コリアンだったこともあり、幼いころに親子で来日して、東京ディズニーランドを楽しんだそうです。アニメのイラストを描くのが趣味だったという報道もありますが、料理人だった藤本さんに聞いたところでは、日本のアニメが好きだったそうです」(辺真一さん)
また、性格も非常に闊達で底抜けに明るく、英語、ドイツ語、フランス語、日本語も堪能で兄達よりも成績優秀だったのだとか。
同時期には兄・正哲氏、正恩氏も共にスイスへ留学しており、3兄弟は同じマンションに住んでいたようです。
兄弟の留学時期を整理してみると、正哲氏が93〜98年、正恩氏が96年夏〜00年末、与正氏が96年4月〜00年末ということになる。
正哲氏がLiebefeldのマンションに住んでいたことは、日本のテレビ番組制作会社「ジン・ネット」による2005年の取材で明らかになっていた。そして、私が入手した公立中の記録にあった正恩氏の住所地を訪ねると、そこは正哲氏の住んでいたとされるマンションだった。与正氏の記録は入手できていないのだが、兄2人が同じ時期に、同じマンションに住んでいたのなら、妹も一緒だったと考えてよいだろう。公立小・公立中からは徒歩数分という距離である。
引用元:WEDGE Infinity
庶民的な住宅街とは言え、3兄弟には特別なサポート体制が敷かれていたようですが、学校では特別待遇を受ける事はなく、友人達とも普通の付き合いをしていたと言われています。
富裕層の住む地域ではないといえ、兄弟が住んだマンションは比較的新しい低層(3階建て)の高級マンションだ。エレベーターの両脇に各階1戸ずつ住戸があり、エレベーターの手前にロックのかかるエントランスがある。そうした構造が続く横長の建物だった。
北朝鮮は当時、マンションの一番端に位置するエレベーターを使う6戸(各階2戸で3階分)を買い占めた。ロック付きエントランスの内側全体を占有することで、一つの豪邸としたのだ。正恩氏の親友だったジョアオ・ミカエロさんは私の取材に、「(6戸のうち)一つがウン専用だったけど、彼は、他の部屋もよく使っていた。1階の部屋にはサウナがあって、一緒に入ったこともある」と話した。世話役の大人がいつもいたが、よく入れ替わったので、いったい何人いたのか見当がつかなかったという。
引用元:WEDGE Infinity
また、この頃から海外文化の吸収にも積極的で、国際経験も豊富。
1991年には母・高容姫氏と共に「ジョセフパク」名義の偽造パスポートで日本に入国し、東京ディズニーランドを訪れたこともあったそうです。
ディズニーランド観光は与正氏にとっては忘れられない思い出だったようだ。’12年に北朝鮮の音楽ユニット・モランボン楽団が公演を行った際にはミッキーマウスに似た着ぐるみなども登場したが、与正氏の演出だったとされている。
幼い頃から非常に聡明であった金与正氏は父・金正日総書記にも可愛がられ、
男なら跡を継がせていた
と語るほどその能力を見込まれていたと言われています。
大学時代
金与正氏が北朝鮮に帰国したとされる2000年から、大学履修の記録が残る2007年までの約7年間については情報がなく、その動向は一切が明かされていません。
一説には、北朝鮮では学校に通っておらず、家庭教師から特別教育を受けていたのではないかと言われています。
しかし、数学や物理など勉学を好んでいた金与正氏は、2007年から2008年頃に6ヶ月間金日成総合大学の物理学部で特別コースを履修していたようです。
勉強が苦手で、母・高容姫氏に軍隊に送り込まれた金正恩氏とは対照的に、金与正氏は非常に勉強が得意だったようですね。
(母・高容姫氏)
また、金与正氏の夫については諸説が囁かれていますが、大学在学中には現在の夫である「ウ・インハク」氏と知り合い、交際を始めたと言われています。
その後、2009年には大学を卒業。
金与正氏は朝鮮労働党宣伝扇動部の行事課に所属しました。