日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を最年少で獲得した個性派イケメン俳優、窪塚洋介さん!
「天才」として一目置かれていた彼ですが、人気絶頂の最中に起こした「マンション9階転落事故」は記憶に新しいものですよね。
宗教、お酒、はたまた薬か自殺かと、その真相については様々な憶測が飛び交いましたが、結局あの事故の真相ってなんだったのでしょう?
今回は、窪塚洋介さんの転落事故の真相について迫ります!
- 窪塚洋介さんのマンション9階転落事故について
- 窪塚洋介さんの転落事故の真相について(当時の状況や本人が語ったことは?)
窪塚洋介のマンション9階転落事故について
これまでにも度々破天荒な言動が見られ、“お騒がせ“”変わり者“といった印象が強かった窪塚洋介さん。
兼ねてよりその異質性については認知されていましたが、当時人気絶頂であった有名俳優の転落事故には「まさか」という声も多かったようです。
まずは、当時の報道内容を見ていきましょう。
当時の報道内容
転落事故が発生したのは2004年6月6日。
人気俳優の”奇行“とも言えるこの事故は翌日、報道各社から大きく報じられました。
6日午後0時10分ごろ、神奈川県横須賀市西浦賀町4のマンションの芝生上で、9階に住む俳優の窪塚洋介さん(25)が倒れているのを、通報で駆けつけた救急隊員が発見、救急車で市内の病院に搬送した。重傷とみられるが意識はあり、救急隊員に「全身が痛い」などと話しているという。同県警浦賀署は、窪塚さんが自宅のテラス(高さ約26メートル)から飛び降りたとみている。
調べでは、窪塚さんは妻と長男(8カ月)と住んでいた。妻は「(窪塚さんが)テラスの方に行くのを見たが、姿が見えなくなったので、落ちたのではないかと心配になり、1階に下りると夫が倒れていた」と話しているという。窪塚さんは、マンションから約10メートル離れた防犯用のフェンス(高さ約1.5メートル)にぶつかり、芝生の上に落ちており、転落ではなく飛び降りたとみられる。遺書などはなかったが、同署は自殺の可能性もあるとみて調べている。
(引用元:DELTA Strange Zone)
マンションはどこ?
事故現場となったのは、神奈川県横須賀市西浦賀町に建つ窪塚洋介さんの自宅マンション。
窪塚洋介さんは自身の住む9階テラスから転落し、芝生の上で倒れている姿を発見されました。
9階から地面までの距離は高さ約26メートルあり重傷とみられましたが、当時意識はあったようです。
転落事故により全治3ヶ月
転落事故から3日が経過した2004年6月9日。
窪塚洋介さんの所属事務所は、窪塚洋介さんは現在、転落事故による数カ所の骨折を負っており、全治3ヶ月の重傷と診断されていることを発表しました。
しかし、一部報道で頭蓋骨の開放骨折などが報じられたものの、そのけがの全容については依然公表されていない状況でした。
その後、2004年6月15日発売の写真誌「FLASH」の報道により、大腸破裂を起こしている可能性が高いことが発覚。
関係者への取材により、以下の可能性が高いことを示唆しました。
- 高さ約26メートルから落下したけがの程度は重い
- 影響は手足の多重骨折、頭部、内臓などさまざまな部位に及ぶ
また、大腸破裂の影響により人工肛門の造設が必要になるのではないかという声も。
マンション9階からの転落は命を落とす可能性も十分に考えられ、完治まで長期間の療養を要するとみられていたようです。
頭蓋骨の開放骨折、大腸破裂となれば命があるのも不思議というもの。
一時は復帰も危ぶまれましたが、窪塚洋介さんは驚異的な回復力を見せ、なんと翌年5月の「鳶がクルリと」で見事俳優復帰を果たされました。
窪塚洋介の転落事故当時の状況
小さな子どもならまだしも、大人が素面でマンション9階テラスから転落するとは考え難いですよね。
そこには事故に至るまでの設備の故障や原因、自殺を示唆する重大な悩みなどがあるはずです。
ここでは、当時の事故の状況を振り返ってみましょう。
人気絶頂
2004年の転落事故当時、窪塚洋介さんは俳優として人気絶頂を迎えていました。
1998年に放送されたドラマ「GTO」に菊池善人役で演して以来瞬く間に知名度に火がつき、2000年に放送されたドラマ「池袋ウエストゲートパーク」のキング役を演じたことを皮切りに、映画「GO」や「ピンポン」など人気作にも多数出演。
日本アカデミー賞新人俳優賞受賞、そして最優秀主演男優賞を最年少で受賞した他、多くの映画賞を受賞。
個性的な役柄をサラリとこなす姿にはカリスマ性を覗かせ、人気イケメン俳優として大ブレイクを果たしました。
当時、窪塚洋介さんのヘアスタイルを真似る若者は多く、街にはツイストパーマをあてた男性が多く見られましたよね。
一世を風靡した人気俳優としての重圧は計り知れませんが、同時に仕事面では順風満帆な時期だったとも言えるでしょう。
育児休暇中
窪塚洋介さんは2003年に前妻「のんちゃん」との結婚を発表。
その年には第一子「愛琉(あいる)」君が誕生し、人気絶頂の俳優としては珍しく育児休暇を取得していました。
2004年の「転落事故」は、この育児休暇期間中に起きたもののようです。
自宅マンションには奥様と8ヶ月の愛琉さんと住んでおり、事後発生当日はアメリカへ発つ予定で妻子ともに在宅でした。
奥様は当時の状況を振り返り、このように語られています。
「窪塚洋介さんがテラスへ向かうのを見たが、その後、姿が見えなくなった」
「(落ちたのではと心配になり)1階に降りると夫が倒れていた」
事故当時の状況は、前妻の奥様にとっても晴天の霹靂だったようですね。
育児休暇中ということは、育児ノイローゼだったのでしょうか?
復帰後は奥様や愛琉さんとともに親子3人で過ごす姿も目撃されており、家族仲についてかねてより良好だったようです。
転落事故後の窪塚洋介の直筆コメント
転落事故から約2ヶ月半が経過した2004年8月20日。
窪塚洋介さん本人より、事故当時の状況を語る直筆コメントが発表されました。
以下がその内容です。
記憶がない。
ベランダから落っこちた日から、数日間の記憶が今だにない。
意識が戻ったのは病院のベッドの上だった、「中田さん、どうですか?」
看護師さんに話しかけられていた、…中田? …俺、中田だっけ? …あれ、イタリア?
マスコミへの計らいで”中田さん“に成っていた本人が一番混乱した。そして、その後すぐもっと混乱した、体が動かない…。
両足、左手、あばら、顔面の骨が折れていた、
だけど背骨やせき髄、脳は無事だから歩けるようにはなると先生に説明された。
他人のケガの状態を聞くよりもあっけらかんと聞いていたのは、
強いとか前向きとかじゃなくて、ただ自分の身に何が起こったのか理解できていなかっただけだった、
「あ、そうですか」と言葉だけが勝手に出ていた。みんなから、生きているのは奇跡だと言われても、
そんな実感は全然持てなかった。
夏至の日に手術が無地終わって両足と左手に金属が入った、
子供の頃好きだった超合金に自分がなっちまった、でもおかげで順調にリハビリが出来る。
先生言うところの”脅威の回復力“で、いよいよ歩く練習が始まった、
人生で二度目の歩く練習は色んなことを気づかせてくれる、
痛みは俺にとって一番の現実で一番のメッセージだ、わかったつもりになってた「いのち」のスゴさと不思議さと素晴らしさがやっと姿を見せ始めたのかもしれない、
生きてて良かった。
「生きているのは奇跡」、
生きてるってことは死んでないってこと。助かったって意味じゃなくて、なんのヒネリもない「当たり前」の意味、
「当たり前」過ぎて当たり前のくせに当たった気でいたことがめちゃくちゃある、
こうならなかったらわからんかったことがめちゃくちゃある、
だから今はこうなったことに感謝しているこれからも嬉しいことと嬉しくないことは同じくらいあるだろうけど、
生きててこそだ、楽しんでいこう、生きてるだけでボロもうけ。この命をくれた両親と先祖、
この命をつないでくれた病院の先生、看護師さん、
リハビリの先生、励ましての声をくれたみんな、
そして家族と神さんに心から感謝してます。とにかく、心配かけて迷惑かけて本当に申し訳ありませんでした。
窪塚洋介
実際のところの本音はご本人しか分かりませんが、直筆のコメントでは「記憶がない」「何が起こったか分からない」とご自身の中でも状況がよく掴めていないことが窺えますね。
窪塚洋介のマンション転落事故の真相は?薬は関係ある?
当時の報道や状況を振り返りましたが、それでは一体転落事故の真相とはなんだったのでしょうか。
大人が何の原因もなしに9階から転落するとは考えられません。
窪塚洋介さんの「記憶がない」という言葉が、或いはヒントになるのかも…。
真相は?事故や自殺説も
事故発生当時、巷では事故や自殺の可能性が瞬く間に噂されました。
成人男性がいたずらに9階から飛び降りることは考えられませんから、この推測は当然と言えるでしょう。
応援していたファンとしては事故説を推したいところではありますが、しかし、事故当時の状況から見れば「自殺未遂」であった可能性が高いようです。
調べでは、窪塚洋介さんは事故発生当時、以下の状況でした。
- マンションの9階から転落
- マンションから約10メートル離れた防犯用フェンスに激突
- フェンスがクッションとなり芝生の上に落下
ここから推測するに、窪塚洋介さんは転落したのではなく飛び降りたと言えるでしょう。
高さ26メートルのマンション9階から転落した場合、マンションから10メートル離れたフェンスに激突するためには、かなりの助走をつける必要があります。
つまり、窪塚洋介さんは自ら飛び降りたと考えられるのです。
しかし、状況証拠から見れば「自殺未遂」ではあるものの、遺書もなく、窪塚洋介さんご本人も「これまで生きてきた中で、自分は死にたいと思ったことはない」と語られており、自殺については否定されています。
現在では一先ず、「誤って転落した」ということになっているようです。
真相①記憶がない
状況から見れば「自殺未遂」なのに、自殺でないというのは何とも不可解ですよね。
この真相には釈然としないファンも多かったことでしょう。
窪塚洋介さんは復帰後、事故当時の状況について各社のインタビューに答えています。
「(事故は)何でそうなったのかわかんないですよ。ただ言えるのは、『死にたい』と思ったことは一度もない。でも落っこってる。だから自分で自分に説明ができない」
「オレはラッキーボーイ。あの日、最高に運が良かったのか、運が悪かったのかわからない。落っこって運が悪いのか、助かって運が良いのか。もちろん、生きてるから良かったんですけど」(サンケイスポーツ)
「(深作健太監督は)映画をすごく愛してるのがにじみ出ている人。初対面の日に焼き肉食べに行って『これは楽しくなるな』と。おれたちの芝居をおもしろがってくれ、細かなやりとりも楽しく、うれしかった」
「普通は死ぬだろ!って思いましたもん。それで『千載一遇』を辞書で調べたら『これだ!』と。絶対、おれ、運を使い果たしてゼロになってると思う」(スポーツ報知)
ここでもやはり「何でそうなったのかわかんない」と、記憶が定かでないことを強調されていますね。
しかし、ご自身でも「自分で自分に説明ができない」と語られている通り、状況と言動が矛盾してしまっている意識はあるようです。
ただ、「生きていて良かった」と再三言葉を重ねられていますし、僅か1年ほどで回復に漕ぎ着けた復帰への意思なども見て取れ、自殺については正直疑問を感じてしまうところですね。
真相②ソフトクリームが食べたかった
転落事故から約2年が経った2006年6月11日。
この日横須賀市で行われたイベント「詩孫」にて、窪塚洋介さんが「転落事故」の真相を明かしました。
その衝撃の理由がこちら。
「その日はとても急いでいた。とてもとても。
マンションの向かいにあるコンビニのソフトクリームが食べたくて仕方なかった。
ソフトクリームが売り切れてしまうんじゃないかと心配でならなかった。
思わず、エレベーターに乗る手順をすっとばしてしまった。
その日は、自分にとって最高の日だったのか、最低の日だったのかわからない。」
なんと、「ソフトクリームが売り切れそうで急いでいた」というものでした…。
通常の精神では思い至らないところで、俄には信じられませんよね…。
もしもこれが本当ならば、事故や自殺以前に精神的、もしくは他の外的要因により何か問題を起こしていたのではないかと思います。
それくらい、正常な思考の中では起こし得ない事故です。
窪塚洋介さん自身再三「記憶が定かでない」と繰り返していますから、何らかの影響で一時的に「ハイ」な状況に陥っていたのかも知れません。
しかし、窪塚洋介さんのこれまでの”奇行“を思えば、そんなこともあるかのかと納得してしまいそうなのが怖いところです。
真相③マンションの前のコンビニへ跳ぼうとした?
2018年6月、窪塚洋介さんは自身のエッセイ「コドナの言葉」を出版しました。
本書の中には2004年に起きた「転落事故」についても触れています。
“あれが何か、
ターニングポイントだったっていうか。
あ、これもう信じ抜くしかねえな。って。
あん時、
マンションの目の前のコンビニに行こうとしたんだけど、
エレベーターに乗って降りるというプロセスを
すっ飛ばしちゃったんだよね。多分(笑)。
落ちたんじゃなくて、思いっきし跳んでたみたいよ。
(中略)
まぁとにかく、全然覚えていない。
(前略)
本当の自分の人生が始まった。
文字通り、飛び込んだんだね。
自分の本当の人生に。
これを見るに、あの転落事故は飛び降りではなく「コンビニへ向かって思いきり跳んだ」ということのようですね。
窪塚洋介さんは当時の事故を「ターニングポイント」と振り返り、今となっては「本当の自分の人生が始まった」と肯定的に捉えているようです。
真相④仕事やプライベートで悩んでいたわけでもない
ここまで言葉を紡がれても「言い逃れ」「言い訳」だと思う方も多くいるでしょう。
実際、窪塚洋介さんのこれまでのお話は信じ難くもあり、常識的な感覚を持った方ほど受け入れづらいのではないかと思います。
やはり、精神的に追い詰められ自殺未遂に至ったのではないか、という見方が自然ですよね。
しかし、2019年6月の「livedoor NEWS」にて当時を振り返り、
「仕事やプライベートで思い悩んでいたわけでもない」
と改めて自殺未遂を否定。
当日はアメリカに行く予定で準備もしていたのだと、あくまで自殺の意思がなかったことを強調しました。
確かに、旅行に行く準備もしながら自殺って何だかおかしいですよね。
そして、窪塚洋介さんは当時の状況を振り返り、このように語っています。
- きっと調子に乗ってたから
- 「この世の中にわからないことはない。じぶんのことは全部分かった」と思った
窪塚洋介さんは、自身の慢心を神様に怒られ「全部分かったなら、これを説明してみろ」と跳ばされたのではないかと、この事故の意味を受け取ったようです。
実際、この事故がご自身の生き方を見つめ直すきっかけにもなったのだとか。
薬との関係は?
一時の気の迷いか、本当に神様の思し召しか…。
しかし、これまでの発言は「薬」は関係ある?という見方もあるようです。
実際のところは、どうなのでしょうか?
大麻礼賛発言とは?
真偽は不明ですが、過去には「大麻礼賛発言」が問題視されたほか、
転落数日前に開催した「講演」など転落事故との関係性を匂わせる噂は聞こえていました。
俳優窪塚洋介(24)が17日、かねて礼賛している大麻について熱く語った。この日、都内で行われた環境イベント「アースデイ東京2004」の製作発表で飛び出した。麻薬として規制の対象になっている大麻だが、窪塚は「『大麻=麻薬』というイメージをアースデイの場で打開したい」。仰天する主催者側を横目に、独壇場を繰り広げていた。
「麻薬みたいな扱われ方をするけど、調べてみると麻薬と定義されるものは何もない。医療的なメリットもあり、なんで法律で規制されるのか。日本中で考えたらおもしろいかな。警察とコミュニケーションをとりながら有効利用することが新しいカギだと思ってる」。
参加タレントのロック歌手大友康平がアラスカで見たオーロラの話をしたり、実行委員長のC・W・ニコル氏が森林破壊について問題提起したりと、ノーマルな話題に戻そうと試みるものの、窪塚は「そうそう」とトークを乗っ取ってまた大麻の話に。「大麻油で車が走ることをご存じですか」「大麻が光合成するといい磁場が出る」「いわゆるバイオエネルギーで…」。「こういう効用がなぜ封印されているのか。大麻=麻薬というイメージが日本では強いが、アースデイの場で打開したい」と結び、会場をあ然とさせた。(引用:日刊スポーツ)
窪塚さんが開催した講演についても一部で報じられました。
6日、神奈川県横須賀市のマンション9階の自宅バルコニーから落ちて大ケガを負った窪塚洋介(25)が、
転落する前日の5日、同市内の会館で地元住民ら約30人を集めて環境問題についての講演を行っていたことが分かった。
講演で窪塚は「3日前から悩んでいる」と胸のうちを明かしており、事故の前兆とも思える発言や行動を繰り返していたという。講演に参加した主婦によると、窪塚は会場に入ってくるとすぐに「3日前から落ち込んでる。
こんなに落ち込んだのは初めて」と不安定な精神状態を口にしていたという。講演中は、何度も帽子をかぶり直したり、
不自然な手の動きを見せるなど、終始落ち着きがなかった。
話している最中も、急に笑顔を見せたかと思うと突然暗くなり黙ってしまうことが何度も見られたとも。約3時間の講演は、自らの生い立ちや、大麻のこと、そして子育てのことといった内容が続いた。
「ポジティブ」という言葉をしきりに口にしていたという。
突然、話の中で「自分がやったことは自分に返ってくるんだなあ」と意味深な発言もしていた。
自身の悩みについて具体的な言及はなかったが「父親に相談してるんだけど、あまり相談に乗れてもらっていない」とも語った。帰り際に、参加者からサインを求められると気軽に応じたそうだが、なぜか色紙のサインには「2004・6・2」と3日前の日付が記された。
最後に記念撮影を終えると、窪塚は「もう大丈夫。きょうで元気になった」と急いだ様子で笑顔を見せながら会場を後にした。
参加者のひとりは、サインの日付に「今思えば3日前から悩んでいると言っていたので、そういった意味が込められていたのかも」と話した。また、最近窪塚を見かけた近所の住民は「気持ちの浮き沈みは見ればすぐに分かった。
落ち込んでいるときは真下を見ながら歩いている」と語っていた。
大麻を薬物としてではなく、有効活用することに肯定されているようですね。
ちょっと話は変わりますが、2014年に肺がんを患い62歳の若さで亡くなったジョニー大倉さんも、1987年に「地上7階からのダイビング」と報じられた転落事故を起こしています。
この事故に対しても、泥酔や薬を疑う声も上がりましたが、ご本人は「ベッドの上に立って窓を勢いよく開けたら、すべってそのまま落ちた」と事故であることを強調。
薬についても「それはない」とはっきりと否定していました。
ジョニー大倉さんは後に窪塚洋介さんの転落事故に対して、「理由なきダイブ。その“衝動”もわかる」と語られており、その奇異な状況に同情を見せていたようです。
天才には天才同士、何か通ずるものがあるのかもしれませんね。