2023年に88歳を迎えた美輪明宏さんは、最近テレビであまり見かけませんがお金持ちそうな雰囲気もあり、どんな人なのか何してる人か気になる人が多いよう。
また若い頃の写真をみると、日本人離れした顔立ちをしており、ハーフではないかとの噂も。
さらに江原啓之さんと『オーラの泉』に出演していたことから、世間からスピリチュアルな人と思われています。
今回は美輪明宏さんのハーフ疑惑、活動遍歴、スピリチュアルな能力について見ていきます。
- 美輪明宏は何者?シャンソン歌手・俳優として活躍
- 美輪明宏は前世が見える?
- 美輪明宏の年収は?
美輪明宏はハーフ?シャンソン歌手・俳優として活躍
1935年美輪さんは、長崎県で5人兄弟の次男として誕生。
両親は生粋の日本人のため、美輪さんはハーフではありません。
(2歳)
しかし母親が天草系で、当時天草はポルトガル人の神父が多く住んでいたことから、ポルトガルの血が混ざっているという噂もあるとのこと。
1941年から始まった太平洋戦争、45年には原爆を経験し、爆心地から約3.9km離れた自宅で被爆。
家の前には楽器兼レコード店があり、世界中のありとあらゆる音楽を聴くことができたんだそう。
また家の隣には『南座』という芝居小屋があり、そこの役者たちに可愛がられていた美輪さん。
(15歳)
舞台の大道具や小道具、衣装、メイクなどについて学ぶことができたんだとか。
こうした経験を活かし、16歳で上京すると歌手や舞台俳優として活躍し始めます。
『銀巴里』で歌手デビュー
美輪さんは16歳の時シャンソン喫茶『銀巴里』で働き始め、本名の丸山明宏名義で歌手デビュー。
美輪さんと言えば優雅な衣装を着用されている印象ですが、当時は男性的な格好でした。
(19歳)
美輪さんが19歳のとき、店の経営が危うかったため運営を任されることに。
そこで進駐軍のキャンプを回っていた時のこと、アメリカのファンが持ってきた雑誌に男だか女だかわからないような格好をしている人が載っていたそう。
これに着想を得た美輪さんは、銀巴里でも同じことができないかと考えます。
そして将軍、徳川綱吉の愛人だった柳沢吉保が、美少年に華奢な服を着せ歌舞伎音曲を仕込んでいたことを知り、それを現代風にアレンジすることに。
(22歳)
そうして美輪さんのトレードマークである派手な格好がうまれたとのこと。
観客の入りが悪かった店の宣伝のために、髪の毛から靴の先まで全身紫色に染め上げ、銀座を歌い歩き広告塔をしていたそう。
そのため「銀座に綺麗な紫のお化けが出る」と話題になっていたんだとか。
また銀巴里には著名人が多く来店していたようで、美輪さんも三島由紀夫さんをはじめとする著名人と懇意になったそうです。
『メケ・メケ』でレコードデビュー
1957年22歳の時、フランスで発売されていた『メケ・メケ』を日本語訳しレコードデビュー。
(18歳)
すると「神武以来の美少年」「シスターボーイ」として各方面で取り上げられ話題に。
この頃雑誌のインタビューで同性愛者であることを公言し、「付き合っているのは20人~30人」とも回答。
当時は同性愛者は「気持ち悪い」「精神病」と考えられていた時代だったため、美輪さんのこうした発言から人気は急落してしまいます。
日本初のシンガーソングライターに
同性愛者であることを公言し仕事もなくなったある日、炭鉱の劇場に公演のため訪れた美輪さん。
そこで真っ黒で汗を滴らせながら働いている人を前に、自身の派手な格好が恥ずかしくなったそう。
「この人たちはお金も着る服も住むところもないのに、歌ぐらいこの人たちの唄があってもいいのに。この人たちの歌はないのか」
と考えた美輪さんは、日本初のワークソングを作ること、素顔で普通のワイシャツで歌うことを決めます。
こうして作詞作曲を自身が担当した『ヨイトマケの唄』を、1966年当時29歳のときに発売、日本初のシンガーソングライターに。
(29歳)
しかし発売当初はまったく話題にならなかったとか。
30歳の時、銀巴里に訪れていた「木島則夫モーニングショー」という日本初のバラエティ番組のディレクターからオファーをもらった美輪さん。
テレビで「ヨイトマケの唄」を歌唱すると瞬く間に大人気になり、全国から2万通のハガキが届いたと言います。
ところが曲中に「ヨイトマケ」「土方」などの差別用語が入っていることから、日本民間放送連盟が放送禁止曲に指定。
それ以降約40年に渡って、テレビでこの曲を聴くことは出来ませんでした。
しかし2000年以降徐々にテレビで曲が流れるようになり、2012~2015年美輪さんが当時77歳~80歳のときには『NHK紅白歌合戦』で披露し大きな反響を呼びました。
(77歳)
『ヨイトマケの唄』を発売後、丸山明宏から美輪明宏に名義を変更し、『愛の賛歌』などを発売。
1984年49歳の時にはシャンソンの本場フランス・パリでリサイタルを開催。
地元紙が1面を割いて取り上げ「美輪の舞台は常に気高さとドラマ性が存在している」「美輪の歌うシャンソンはまさに無敵」と絶賛。
日本人音楽家がパリでこれだけの評価を得たのは、小澤征爾さん以来のこと。
1987年にはフランス、スペイン、ドイツに招待されコンサートツアーも開催。
こうして日本初のシンガーソングライターとして活躍する一方で、俳優としての活動も始めます。
三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』が大ヒット
ニューヨークにいた寺山修司さんから、舞台出演のオファーが届き受けることにした美輪さん。
1967年には寺山修司さん主宰の天井桟敷旗揚げ公演で『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』に主演。(当時32歳)
(32歳)
公演を見に来ていた三島由紀夫さんから江戸川乱歩原作の戯曲『黒蜥蜴』をオファーされ主演を務めることに。
黒蜥蜴とよばれる女盗賊を演じ大ヒットし、社会現象にもなったんだとか。
(34歳)
劇中、三島さんは美輪さんとキスがしたかったためキスシーンを作ったとのエピソードもあり、2人は愛人ではないかとも噂されていました。
『黒蜥蜴』のヒットを受けて、当時無名だった深作欣二さんを監督に抜擢し映画化。
これが成功し、ニューヨークユやパリを始め世界的なヒットとなります。
ニューヨークタイムズは「丸山明宏は妖婦を演じているというより、壊れた理想そのものを体現している。『黒蜥蜴』を見た人は誰でも言葉を失うだろう」と演技を高く評価。
毛皮のマリー、黒蜥蜴、愛の賛歌などの戯曲は、美輪さんが80歳になる2015年まで繰り返し再演されていました。
(83歳)
そのほかNHK大河ドラマ『義経』(2005)にも鬼一法眼役で出演しています。
(70歳)
声優・作家・コメンテーターとしても活躍
歌手・俳優として活動していた美輪さんですが、徐々に活躍の幅を広げていきます。
(41歳頃)
【声優】
- 1997年『もののけ姫』で山犬のモロ役
- 2004年『ハウルの動く城』の荒れ地の魔女役
- 2009年『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ』アルセウス役
- 2014年NHK『花子とアン』ナレーター役
【バラエティ番組】
- 2005年4月~2009年9月放送『オーラの泉』
【著書】
- 紫の履歴書(1992年)
- 人生ノート(1998年)
- 天声美語(2000年)
- 霊ナァンテコワクナイヨー(2004年)
- 他多数
『紫の履歴書』は40数年来の大ヒット、『人生ノート』も50万部のベストセラーとなっています。
東京都の名誉市民に
2018年83歳には戦後の日本でジェンダーを超え、多方面へ活躍したことから東京都の名誉市民に選出。
2019年9月に脳梗塞を発症、2か月で復帰しましたが、コロナ禍もあり仕事をセーブするように。
(84歳)
現在は、
- NHK Eテレ「美輪明宏 愛のもやもや相談室」
- テレビ東京「ありえへん∞世界」
など体に負担をかけない程度に仕事をしているとのこと。
2023年7月11日放送の『ありえへん∞世界』で、美輪さんが以前よりやせ細っていたことから心配の声があがっていました。
(88歳)
激変した理由は分かってはいませんが、脳梗塞の発症に加え88歳という年齢もあり、以前ほど体調が安定していないのではないかと思われます。
美輪明宏は前世が見える?
『オーラの泉』でスピリチュアルブームに
2005年4月に放送開始されたテレビ朝日系『オーラの泉』に出演。(当時70歳)
(70~74歳頃)
「愛の伝道師」としてスピリチュアルブームを巻き起こし、人気番組になりますが2009年9月には放送終了。
番組は高視聴率だったそうですが、自称霊能力者が増加し霊感商法による金銭的被害の危険性が高まったことが問題に。
そのため番組中には「前世や守護霊は科学で証明されたものではなく、人生をよりよく生きるヒントです」とのテロップが表示されていたとのこと。
こうした放送倫理の問題から、美輪さんは霊感を語れなくなったそう。
美輪さんは霊について、2018年12月26日放送の『梅沢冨美男のズバッと聞きます!SP』に出演した際、
「夢を見るのと同じ状態で見える」「例というより電子、中性子、陽子、エネルギー隊だと思っている」
と回答。
霊感があった美輪さんですが、2020年12月1日放送の『ありえへん∞世界』で、
「昔は霊感があっていろいろなものが見えたり聞こえたりした。だけど、最近はパタッと何も見えなくなった」と告白。
(85歳)
2015年80歳ごろから霊感がなくなり見えなくなったということです。
三島由紀夫に青年将校の霊を見たことも
美輪さんは三島由紀夫さんの前世を見たというエピソードもあるとのこと。
1969年に三島さんを囲んだパーティーで、三島さんの背後にうごめく影を見たそう。
美輪さんは直感で、それが2・26事件の青年将校の霊だとわかったそう。
影が放つ殺気に「三島さん後ろに誰かいる!2・26事件の関係者らしい!」と叫ぶと、三島さんは動揺し事件に参加した青年将校の名前をひとりずつ上げ始めたとか。
そして三島さんが、「磯部浅一」と言った瞬間「それだ!」と叫ぶと三島さんの顔から血の気の失せるのが見えたそう。
磯部浅一は2・26事件の首謀者で、決起将校の中で最も過激な人物。
三島さんは少年のころから青年将校に憧れ2・26事件に入れ込んでいたようで、青年将校の呪詛を描いた著書『英霊の声』も発売。
その執筆中に、英霊に取りつかれて手が勝手に動くという体験をしており、この出来事はそんな矢先のことだったそう。
パーティーに同席していた三島さん率いる「楯の会」のナンバー2である本多清さんも、このやり取りを見ていたことから信憑性が高いとみられています。
「天草四郎の生まれ変わり」は売名のための嘘
銀巴里で働いていたころから霊感の強い複数人から「あなたの背に血だらけのサムライの顔が見える」と言われていた美輪さん。
30代前半のころ、ある人から「前世は天草四郎」と言われたことをきっかけに、それを自称するようになります。
しかし『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演した際、美輪さんが本物だと認める霊能力者木村藤子さんが登場。
中居さんが、美輪さんの前世に天草四郎がいるのか尋ねると、「美輪さんの前世に天草四郎はいません」と断言します。
これに美輪さんは、
「自分の前世に天草四郎はありません。丸山明宏の名で売れなくなっていたので、自分の前世は天草四郎だと称することで自分の名を世間に売ったのです」
と売名のための嘘だったことを打ち明けました。
美輪明宏の年収は?
美輪さんの年収は公開されていません。
現在はレギュラー出演している番組は数本ですが、2007年に始めた月額330円の携帯サイト「麗人だより」の利用者も多く、著書も複数出版。
そのため年収は推定数千万円と言われています。
また美輪さんが35歳の時に、東京都駒沢に建てた自宅が豪華だとの情報も。
「芸能人は雰囲気を売る仕事なので、豪華な部屋に住んでオーラを加えたい」
と話しているとのこと。
美輪さんの遺産は、唯一の家族である息子が譲り受けるとみられています。